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全国各地の商店街活性化の事例から、「商店街活性化のヒント」になるノウハウをご紹介します! 商店街支援ノウハウ

独自の取組みで注目を集める元気な商店街があります。

しかし、その商店街も最初から目覚ましい成果をあげたわけではありません。

想いを持つ人が勇気ある一歩を踏み出し、努力と試行錯誤を重ねる中で共感する仲間を増やしながら、一つひとつの課題を乗り越えてきたはずです。

今もチャレンジを続ける先駆者たちの声から、商店街活性化に共通するヒントが浮かびあがってきました。


 (参加者:左より)

松井洋一郎さん

愛知県・岡崎まちゼミの会 代表/みどりや 専務取締役

会社勤務を経て、20年前に家業の化粧品専門店を継いだ4代目。商店街にある個店の魅力を活かした講座「得するまちのゼミナール」(通称・まちゼミ)を運営する、愛知県岡崎市に拠点を置く岡崎まちゼミの会代表。東康生町発展会に所属。

城所ひとみさん

東京都・エスプラナード赤坂商店街振興組合 理事長

大学卒業と同時に結婚。1981 年より東京・赤坂の赤坂クインビル(株)副社長としてビル経営に従事。

88年に赤坂田町通り会の役員に、90年に同会長就任。97年にはエスプラナード赤坂商店街振興組合に法人化

を果たし、理事長に就任。

迫 一成さん

新潟県・上古町商店街振興組合 理事/hickory03travelers(ヒッコリースリートラベラーズ)代表

福岡県出身。大学卒業後、新潟市の上古町商店街でショップ運営やアートイベントの開催、新潟らしい商品開発などの活動に取り組む。上古町商店街振興組合設立後は、理事としてイベントの企画・運営、商店街の魅力を発信する活動を担当。

細川保英さん

長野県・岩村田本町商店街振興組合 専務理事

岐阜県生まれ。大学卒業後、メーカーに勤務。1982年より大阪で進学塾を展開。92年に長野県佐久市の岩村田に塾を設立。09年、岩村田本町商店街に、全国初の商店街直営の塾「岩村田寺子屋塾」を開講。現在は、高校生や発達障がい者に向けた事業も展開。

塾経営者、クリエイター、ビルオーナー、

そして家業を継ぐ4代目商店主として

 

—今回お集まりいただいた中で、3名の方はもともと商店街関係者ではなかったとか。

 

細川 僕は、岩村田で進学塾を経営していましたが、長野オリンピックの頃から、「打たれ弱い子ども」や「子どもの顔色を見て子育てする親」が増えました。「もっと地域の力を教育に活かさないと」と思い、「商店街」という地域資源を活用した教育こそが必要だと、阿部理事長にプレゼンしたんです。ちょうど、組合も「子育て支援」に移行し始めていた時期。3年かけて全国初の商店街直営「岩村田寺子屋塾」を開校できました。今から思うと、こんな「よそ者」をよく受け入れてもらえたと思いますよ。宿場町という環境なのでしょうね。でもそれから、商店街活動にどっぷりと浸かりましたね。

 僕は大学進学で福岡から新潟にやってきました。卒業後、新潟市の上古町商店街に、自分でデザインした雑貨や衣類などを扱うお店を開きました。上古町商店街は街区が113番町で構成されている古町の14番町です。開店した当時、このエリアは番町ごとに商店街組織が分かれていましたが、「一緒に街を盛り上げていこう」と、合同勉強会が開かれていました。開店時にお世話になった方からその勉強会に誘われ、おもしろそうだからと何気なく参加したことがきっかけです。

城所 私は赤坂の貸ビルのオーナーですが、1988 年の暮れ、赤坂田町通り会(現:エスプラナード赤坂)の忘年会に突然お誘いを受けたのが始まりでした。美味しいお料理を楽しみに気軽な気持ちで参加したのですが、宴もたけなわになった頃、突然「役員になってほしい」と告げられました(笑)。その1年後、今度は「若い力が必要だ」と説得され、理事長となりましたが、近隣の商店街では「女性が理事長だなんて!」と大騒ぎしたそうです。

 

— 一方、松井さんは最初から商店街の一員としてスタートされています。

 

松井 5年ほどセールスマンとして商売を勉強し、4代目として実家の化粧品店に戻りましたが、商店街はかつてのにぎわいを失っていました。先輩商店主から「街を盛り上げたい」という声があがり、何かお役に立てればと商店街活動に関わるようになりました。

仲間の支えがあったから

壁を乗り越えることができた

 

—商店街に関わり始めた頃はどのようなことがありましたか?

 

松井 最初はイベントを開くと人が集まり、地域の方々も喜んでくれました。しかし、商店街の売上にはつながらず、しばらくすると廃業する店も増えていきました。

商店街は地域と共存共栄の関係にありますから、1つの商店街だけでがんばるのではなく、近隣の商店街と協力しなければ、地域の魅力は高まっていかないと考えていました。そのような時に、商工会議所のお誘いにより「この指とまれ!」方式で商店街の枠にとらわれることなく、同じ危機感を持つ“仲間”が集まり始めたのです。すると、「本気で取り組まなければ、自分の店もいずれ潰れてしまう」と考える若い商店主が、事業の成果を感じる中、次第に増え、互いの想いをぶつけ合う中で、少しずつ意味のある事業が行えるようになりました。

城所 私を推挙した方は「城所さんは女性なので、しがらみに関係なく、どんどんできるはず。何かあれば必ずフォローするから積極的に活動してほしい」と応援してくれました。ですから、私は後のことはあまり心配せず、どこにでも行き、率直にものを言うことができました。

細川 岩村田は中山道の宿場町として栄えたまちで、松井さんや城所さんと同じく、古くからのしがらみが強い場所でしたが、私はむしろ、よそ者だったおかげで、そうしたものをあまり気にせずできる立場だったのかもしれませんね。

 僕も同じです。参加した勉強会では、僕の次に若い方が50代半ば。出てくるアイデアも若者の興味・関心とは違っていることが気になりました。そこで僕のできることやアイデアを提案してみたところ、思いのほか素直に受け入れていただけました。それには理由があって、これまで若い世代がそのような勉強会に参加したり、発言できる機会が少なかったからなんです。だから、最初から若い人の意見を歓迎する雰囲気があり、今も息子や孫のようにかわいがってもらっています(笑)。

当時は4つの番町で新しい振興組合を立ち上げる直前だったので、商店街のロゴやマップ、ホームページをつくりました。年配の方は「ここには何も無い」と言われていましたが、若者なりの視点でまちの魅力を見つめ直し、さまざまな情報を発信しました。

 

—商店街活動を行う中では、大きな壁に突き当たったこともあったと思いますが。

 

松井 活動が軌道に乗り始めた頃、「何で隣の商店街と手を組むんだ!」と指摘を受けたことがありました。必死に何度も説明しましたが理解していただけず、次第に「自分が間違っているのか

も……」とまで思うようになりました。

そんな時に、仲間から「松井さんは間違っていない。一緒にがんばろう」と言われたのです。あのひと言はうれしかったです。皆さんと同じく、私も自分の商店街や仲間が大好きですし、お店と街を守っていきたいと思っているからこそ、いろいろな活動を続けていけるのだと思っています。

 僕自身は鈍感な部分もありますが、楽観的に構えているほうが良いかなと思っています。批判や反発を受けるたびに真正面から反応していると、物事は前に進みません。上古町商店街も4つの番町の集合体ですから、総会など物事を決定する場面では普段とは違ってかなり厳しいことを言われる場合もあります(笑)。そんな時は「僕たちでは力不足なので、ぜひお力添えください」とお願いしています。

 

—商店街活動に関わったからこそ、発見できたものとは?

 

城所 「商店街だけでまちづくりを行うのは間違っている」ということ。街は、そこに暮らす人だけでなく、利用する人がいることで成り立っています。赤坂は、昼はオフィスでたくさんの人が働き、夜は食事を楽しむ場所。そこで、街を利用する人の意見を聞きたいと思い、「トーク赤坂21」を立ち上げました。

企業や行政などさまざまな立場の方に参加していただいていますが、肩書は外してもらい、あくまでも赤坂を利用する一個人として自由に発言してもらっています。すると、街に関する貴重な情報が集まるようになり、そうした情報をもとに改善テーマについて議論し、行政などに働きかけもできました。

 僕が感じたのは、若い人にとって商店街は非常に良い「学びの場」になること。幅広い年代の方々とふれ合いながら、人の役に立ち成長できる。特に、良い点を見つけて褒めてもらえる機会が多い。自信は無いけれど、何かを始めたいと考えている若い人は、商店街で一歩を踏み出してみるのも良いのではないでしょうか。上古町でも若い人の店が増えてきていますね。

城所 どのような立場の若い人が集まってくるのですか?

 地元出身かどうかは関係なく、純粋に何か新しいことを始めたい人が多いですね。

城所 外から来た方々が、商店街の仲間に加わり、新しい力になっていくわけですね。

細川 古い街には、老舗も多いですが、その店の後継者だけに頼って、街の活性化を期待するのは酷。後継者がいない店には、新しい人材、「新しい風」を吹き込むことが、必須条件になりますよね。でも「よそ者だから」と敬遠していれば、やがて街は死んでしまいます。若者でも、よそ者でもなんでもいい。本当に「やる気のある人」がそこに集って、真剣にまちづくりをすれば街は変わってくると思うのです。

 

魅力あるモノを売る個店が

周りの店や商店街を変えていく

 

—松井さんは「まちゼミ」で全国を回られていますが、現在の個店の状況をどのように感じていますか?

 

松井 地方に行くほど「待ったなし」の状況です。自分の店のことで精いっぱいであれば、商店街にまで想いを向けられなくなってしまいます。そのあたりが商店街活動の難しさであると思います。実はここに「まちゼミ」が成功した秘密があると考えています。最初は、自分のお店を元気にしようとがんばる。少し元気になると、周りがあってこそ自分のお店があると気がつく。さらにもう一段意識が上がると、周りが元気にならなければ、自分のお店も元気にならないと気づく。「まちゼミ」を通して、個店と商店街の関係と活かし方が段階的に理解できるのだと思います。

細川 まちづくりは本来、悲壮感を漂わせながら行うものではないですよね。中心の人が楽しめなければ、輪に加わる人も楽しくならないし、喜びや感動があるからこそ、次の活動に向けた力も生まれるのだと思います。松井さんを見ていると、心からまちづくりを楽しまれている。私もまちづくりに関わるようになって人生が変わりました。だから、松井さんとも話が合うのでしょう。街を良くしたいという想いは、大都市であっても、地方であっても、根本的な部分はあまり変わらないのかなと感じます。

松井 確かに、まちづくりは楽しいですが、熱中し過ぎるあまり、自分のお店を顧みず、結果的に双方ともダメになるというのでは元も子もありません。商売人はまずは商売ありき。「まちゼミ」を行う際も、お客様にご満足いただき、個店を元気にすることが第一、その次に魅力的なまちづくりがある、とお伝えしています。

 個店と言えば、以前、僕のお店の前にあった酒屋が閉店したため、空き店舗にしないよう月14万円の家賃を払って借り受け、有料のフリースペースにしたことがあります。

細川 すごい! 毎月となれば、結構な金額だし大変だったでしょう。

 何とかやりくりして、6年ほど続けましたが、イベントを開くと人が集まるものの、平日はほとんど人が来ない。ある日、古本屋を開きたいという知人に貸し続けたところ、毎日、入れ替わりお客様がやってくる。なぜか。そこには本好きの人が「欲しい!」と思うような、こだわり抜いた本があったからなんです。つまりその店には人が集まる理由があった。

お客様がお店を訪れる最大の理由は、欲しいモノを買ったり、魅力的なモノに出会うため。だから、魅力的なモノを売るお店がたくさんあれば、お客様にとってそこは魅力的な商店街になる。そう気づいた瞬間、自分のやるべきことが鮮明になりました。ちょうど酒屋の土地建物が売りに出されると聞き、一式購入し、こちらにお店を移しました。

松井 それはまた、随分と思い切ったことをされましたね! どうして迫さんがよそ者でありながら、そして商売人としてもその覚悟ができたか今度じっくり語り合いたい(笑)。

 大きなリスクを伴う決断でしたが、自分のお店を魅力的にし商売を安定させれば、周囲のお店にも何かを感じてもらえるようになり、やがて商店街全体が潤うようになると考えたのです。現在は、他の場所では出会えない僕たちのお店ならではのこだわり商品を販売しています。以前よりもお客様が来てくれるようになり、想いに共感してくれるお店も増えています。

細川 若者を育て、魅力ある店の集合体をつくるためには、大家さんの理解は必須条件ですよ。岩村田では「大家さんサミット」というのを開いて、組合の考えを大家さんに伝えます。空き店舗を貸す時の家賃交渉も、組合の理事が直接行います。意気に感じて廉価な条件で貸してもらえますよ。

城所 実は、商店街活性化のカギを握っているのは、オーナーさんと言えるかもしれませんね。単純に高い賃料を払う人を入れるのではなく、地域の魅力を高めてくれるようなお店に入ってほしいと考えてくれるかどうか。

細川  特に歴史のある街を変えていくためには、若者や、よそ者だけではだめだと思います。肝心要のところでは、長年続く老舗のオーナーや、地元の名士と言われる人の力は欠かせません。さらに、その方に強いリーダーシップがあれば、まちづくりには、最高でしょうね。

迫 上古町でも僕のような者が楽しく活動できる背景には専務理事をはじめ地元の理解者がいてくれるからです。

 

商店街は

誰のためにあるのか?

 

細川 岩村田の阿部理事長がよく口にするのは「誰のために?」「何のために?」という視点です。いろいろな事業やイベントをやる時にしっかりした「街を活性化するための目的」が明確になっていないと、ぶれてしまい、せっかくのイベントが独りよがりや、金の無駄遣いに終わったりしかねません。哲学を常に共有することですよ、活動する仲間同士が。

城所 本当にそう思います。私たちの場合はまず、女性に愛される街になろうと考え、きれいなまちづくりに取り組みました。雰囲気が明るくなったことでオープンカフェのようなお店が増え、また、ランチタイムは車両通行止めにしたことで、お客様が安心して歩けるようにもなりました。人が集まるようになったことで、出店を考えている人も、まずはエスプラナード赤坂から探すようになるなど、好循環が生まれています。商店街に対する第三者評価、資産価値を上げていくこともまちづくりの大切な視点だと思います。

細川 空き店舗が増えれば、その地域の資産価値は下がりますよね。我々の使命は先祖から預かった土地や資源を豊かにしてその資産価値を上げて、次世代へ引き継ぐことだと思うのです。そのためには、そこに買いたくなる店、行きたくなる店がなければ話になりません。そのための個店の努力は必須で学びが必要ですよ。「右手にそろばん」「左手に地域コミュニティ」。各店は利益を上げることを忘れてはなりません。また、地域コミュニティの担い手としての機能を揃えていく努力も怠ってはなりません。

城所 もう1つ、お話ししたかったことがあります。赤坂は以前、違法駐車が全国ナンバーワンでした。そこでトーク赤坂21でその問題について議論し、国土交通省にも掛け合い、最終的に公共の地下駐車場ができました。同時に、赤坂につながる地下歩道もつくっていただきました。地下歩道の両脇には広告看板がありましたが、あるきっかけがあり、その運営管理を私たちに引き継いでほしいという話が舞い込んできました。民間企業では「利益」とする部分を、振興組合であれば、収入はすべてまちづくりに使わなければなりません。そうしたことから新しい事業の1つとして、平成25年からスタートしています。

細川 組合費だけでは活動資金を賄えません。だから岩村田では組合直営事業をいくつも持って、子育て支援のイベントや、直営の学習塾や託児所、防犯カメラやLED街灯の設置などの地域貢献事業を実践しているんですよ。

城所 従来は、何か事業を行うにしてもほとんどが手弁当で、足りない部分は役員が負担していました。それではやはり長続きはしません。今回、振興組合の事業でまちづくりの活動費を生み出せる可能性があることを知り、本当に良かったと思います。

 

—最後に、商店街活性化やまちづくりに取り組まれている方へメッセージを。

 

細川 「うちには人材がいない」と嘆く前に、まず「リーダー」が自分の想いを語り続けて!そうすれば、必ずその思いに共感し、動いてくれる人が現れます。現れたら、まずやる。成果を出せば、リーダーのやっていることは正しいと確信して力を貸してくれますよ。恐れず勇気を持って一歩をまず踏み出して。3人いれば街は変わる!

 あまり偉そうなことは言えませんが、失敗しても死ぬわけではありません。失敗したら違う方法で再び挑戦すればいい。そもそも挑戦しなければ、成功の喜びは味わえないわけですから。僕は以前、絵本の専門学校の先生から「始めること、続けること、出会うことがあったから、いまの自分がここにある」と言われました。その言葉を信じ、僕もお店を始めて商店街と関わり続けてきたら、素晴らしい人たちに出会うことができた。今の僕は、まちに愛着を持ちながら商売ができていることを幸せに感じています。反発や批判に惑わされず、素直な気持ちで挑戦を続けていれば、必ず商店街は変わっていくはずです。

城所 女性とまちづくりは、非常に相性が良い。それは、まちを利用しているのが女性だからというのもありますが、女性はダメ元の度胸があるので、さまざまな場所や課題に飛び込んで行けるのです。でも、その際にお願いしたいのは、必ず女性に役職をつけること。役職をつけて動きやすい環境にしてあげることで、女性は必ず力を発揮してくれます。

松井 僕も長く地元の商店街事業に関わっていますが、たくさん事業を行い、1つ成功するかどうかでした。「まちゼミ」も、そうした中から生まれたものです。やはり、挑戦し続けないと何も生まれないのです。

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こうして皆さんのお話を聞くと、やはり、実践されている方は発想がすごい。印象的だったのは、これからの商店街を考えていくためには、しがらみや慣習にとらわれない若者や女性が持つ価値観が重要になるということ。商店街同士でも積極的に情報交換し、目指し目指される関係になる。連携から生まれる刺激を、ぜひ皆さんの商店街を元気にするためのパワーに変え、まず一歩を踏み出しましょう。その一歩こそ、最大のチャレンジなのです!

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