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全国の魅力的な商店街をつくるための取り組み事例をご紹介します! 商店街活性化事例レポート

震災前より強い商店街を。無から再結集までの道のり 震災復興 人材育成 コミュニティ

 東日本大震災で壊滅的な被害を受けた、岩手県陸前高田市。
あれから6年以上が経ち、中心市街地には新たな商業施設が開業するなど、復興に向けて着実に歩みを進めている。
未曾有の災害により「街」をなくした人々は、いかに連帯しさまざまな取組みを花開かせていったのか。その道程を追った。

商店街名 岩手県陸前高田市

左)東日本大震災から2日後の被害状況。津波が多くの人命や商店を奪っていった (C)FUSAO ONO/SEBUN PHOTO /amanaimages  右)右上・左下)震災の記憶「奇跡の一本松」と道の駅「タピック45」。左上・右下)仮設商店街の「未来商店街」と「高田大隅つどいの丘商店街」

     

未曾有の被害から 市民一体で前を向く

東日本大震災から2日後の被害状況。津波が多くの人命や商店を奪っていった
(C)FUSAO ONO/SEBUN PHOTO /amanaimages

 陸前高田市は’11年3月の東日本大震災で、岩手県内で最も甚大な被害を受けたエリアだ。市内全世帯の99・5%が被害を受け、犠牲者は1759人(行方不明者含む。’17年9月27日現在)にのぼった。商店街にも壊滅的な被害が生じ、それまであった駅前通り商店街を含め複数の商店街は、津波によって機能停止を余儀なくされた。

「家族は無事だったのですが、家と店は流されました。文字通り、途方に暮れました」

 そう話すのは、陸前高田まちなか未来プロジェクトグループ代表の小笠原修さん。自身も、アパレルショップ「ファッションロペ東京屋」を営む一店主だ。

「街に出れば、想像を絶する壊滅的な被害。そこら中にブルーシートが敷かれ、臭いも壮絶。私に良くしてくれた方々も、震災で多く亡くなってしまった。今思い出しても涙が出ます」



陸前高田まちなか
未来プロジェクトグループ代表
小笠原修さん
まちゼミや後進育成など、震災後の復興の取組みを牽引するキーパーソン

 その知己のひとりが、駅前通り商業振興組合の理事長だった故・伊東進さんだ。小笠原さんはもともと多店舗の経営に当たっていたが、’04年に陸前高田本店に集約。その際、街の寂しい現状を目の当たりにし、「なんとかしたい」という想いが強まり、商店街運営に携わるようになった。そんな小笠原さんを商店街理事に引き上げたのが伊東さんで、「行政との連携方法や人脈の構築、まちづくりの基礎についていろいろと学ばせてもらった」。

 震災後、そんな伊東さんの遺志を継ぐべく、小笠原さんは、少しずつ街の再建に向けて歩みを進める。当面の課題は、「商店街の不在」による、消費者の流出だった。

「近くに商店街がなくなり、住民は気仙沼など近隣都市まで買い物に出かけ、それが習慣化してしまった。この街で再度商売を行う時に、大変苦労すると思いました」

 めざすは、一刻も早い商店街や商店の再開。そんな折、陸前高田商工会内に「商工業復興ビジョン推進委員会」が立ち上がり、委員に任命された(’12年8月)。同委員会は、商工業者の復興を検討するべく、行政と一体となってあらゆる課題を探るもの。以後、復興を担う中心的なチームとなっている。

「行政の関係部署の責任者が一堂に会し、復興の方針について意見をぶつけ合いました」 こうして官民が真剣に意見を出し合いながら、復興という一つの目標のために走り出し、中心市街地の整備などの具体的なプランが練られていった。


商店街の価値を感じ まちゼミで意識醸成

温かみのあるデザインの未来商店街の看板。’17年9月現在8店舗が出店

 ’12年頃から、陸前高田ではいくつかの仮設商店街が稼働した。小笠原さんも、最初は寄贈されたコンテナを仮設店舗として営業を再開。まちづくりに関するワークショップなどを実施しながら、プレハブの未来商店街の開設(’13年3月)にも携わった。「未来商店街(10店舗で始動)への出店は、人材育成の観点からも、若い世代に中心になってもらいました。そして商店街のキーワードを『笑顔』にしました。いかにお客さんが、そして自分たちが笑顔になれるか。その具体的なイメージをもって商売をしたいと思いました」

 こうしてオープンした未来商店街に、地元の人々は大変な喜びようだった。その姿を見、「本当に、涙が出ました。お客さんと直接コミュニケーションを取り、活気を生み出す小売店や商店街は、単なる買い物の場ではない。暮らしを明るくする場所なんだと再認識しました」と小笠原さん。

 震災とは異なる涙。店主が元気な背中を見せることで、お客さんも勇気づく。もっともっと元気にしたい、と考えた時に、新たな問題が見えてきた。「商店や仮設商店街の点在」だ。消費者にとっては必要なものが一度に買えず不便な上、点在する店は効果的なPRが打てず、店の存在を地域住民に気づかれないことも多い。つまり、この状況下では消費者の市外への流出は止まない。

つどいの丘商店街は、11店舗出店。復興に携わる「陸前高田まちづくり協働センター」も入る

「せっかく店を開いても、このままだとみんな倒れてしまう。散り散りになった店主をつないで一体感を高めることで困難を乗り越え、いつかまた中心市街地に結集したい」

 そして小笠原さんが着目したのが「まちゼミ」だった。まちゼミは、各店舗に参加者を呼ぶイベントのため、陸前高田の現状でも実施が可能である。その上、「まちゼミ参加店」というまとまりとして効果的にPRできるのだ。

「店の点在という私たちの問題をまちゼミは解決してくれました。そして何より〝オール高田〞としての意識を高めてくれました。お客さんにとっても、復興が日々進むこの地域を回ることで新しい発見があり、魅力的なイベントです」

 ’16年11月に16店舗23講座を設け開催した第一回目のまちゼミは、162人の受講者を集めた。結果、店主と住民、そして協力してくれたNPOとの横のつながりが太くなった。こうして〝オール高田〞の意識が醸成されつつある中、’17年4月に中核商業施設「アバッセたかた」が開業。新しい街は徐々にその姿を現しつつある。


商店街の価値を感じ まちゼミで意識醸成

つどいの丘商店街に掲げられた「絆」を謳うメッセージ

 復興の新たなフェーズに入った陸前高田。今後、必要となってくる要素は、「〝オール高田〞のさらなる醸成」「NPOの参画」「人材育成」の3点だ。

〝オール高田〞としての一体感は、今後も「まちゼミ」や「まちバル」などの取組みを通して高めていく。そして、そこにはNPOとの連携が欠かせない。被災した店主の多くは、自身の店の経営に集中しなければならず、イベント開催はNPOの協力なしにはできないという事情があるからだ。

「商店街のイベントを重ねつつ、店を継ぐ後継者だけでなく、〝まちを継ぐ後継者〞を育てたいと考えています。人材育成の面からも、今後の若手の店主や事業者、NPOなど地域のサポーターをどんどん巻き込んで取組みを行っていきたい」

 震災で散り散りになってしまった店主たちとコミュニティ。それが今、高い志をもった人々の尽力により、再び結集しようとしている。以前よりも力強いにぎわいが、そこに生まれようとしている。


こうなる! 新・中心市街地

愛知県出身の種坂さんは震災後、陸前高田市で発信やイベント企画などを通し復興に携わる。陸前高田の商業者たちからの信頼も厚い

下図は、新しい中心市街地の姿を具体的にイメージできるよう、「陸前高田まちづくり協働センター」(NPO)の種坂奈保子さんが作成したもの。

広大な敷地のなかに、商業施設や商店のほか図書館や文化会館などの文化施設、さらに複数の広場や緑が設けられる。

種坂さんは「『ここに行けばにぎわいがある』と思えるような場所になってほしい」と想いを語る。海抜約10m にかさ上げするなど津波対策も万全で、地域の憩いの場が生まれようとしている。




  

【COLUMN】まちゼミで、店も 受講者も絆が深まる

’17 年6月〜7月に行われた「第2回陸前高田まちゼミ」。
キャピタルホテル1000 での人気講座「プチお料理教室」では地域の主婦たちが普段は見られないシェフの料理術を学んだ。
店を知るだけでなく、受講者同士の交流も深まる機会となっていた。

     




    
★この記事は、商店街活性化の情報誌「EGAO」の2017 Autumn(秋号)に掲載されています。
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